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3DCG設計室

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2019.12

羆嵐(くまあらし)

病院へ母親を定期受診に連れて行って、待ち時間に何気なく院内コンビニの本棚を見ていると、黒い表紙の文庫本が目にとまった。そこには何やら気に障ったクマが、「テメー、この野郎!」とこっちを見ている。タイトルは「羆嵐」(漢字はヒグマだが「くまあらし」と読む)。マタギとクマの物語だろうか?しかし手にとって裏表紙を見ると、それは大正4年12月に北海道で起きたヒグマによる日本獣害史上最大の惨事だった。数ページ立ち読みして作者の淡々とかつ緻密な文章表現に引込まれ買ってくると、圧倒してくる恐怖に2日で読み終えた。生きる望みを託して入植した開拓地が反転死の恐怖に包まれたのだ。それにしてもヒグマに襲われた(喰われた)という悲惨な出来事はもちろんだが、時代背景がとにかく今の生活環境からは想像できないことばかり。こういう時代を生きていた人々が居たということに、そしてその命が今に続いていることに尊敬と驚愕の思いが残った。

意味は読んでのお楽しみ

2019.11

ライオン・キング

映画の封切りも知らなかったが、たまたまライオン・キングのコマーシャルビデオをウェブで見た。映画のCG技術の進歩は著しいと思っていたが想像を超えていた。超実写版とあるが納得、そのうち映画か実写かの区別がつかなくなるだろう。ところで先日熊本に住む学生時代の友人宅を訪問した。彼は退院後に手術をしたことを話してくれたが、大事に至らずに良かった。御見舞いできなかったので退院祝いを持って行った。普通に元気なので奥さんを交えて世間話ばかりだったが、ライオンキングの話になった。映像はもちろんだが動きの躍動感が本物みたいで凄いと言うと友人も同じで、本物、本物というフレーズを繰り返していた。すると横で聞いていた奥さんが「ねぇねぇ、声も声も…♪」と聞いてくる。友人「あーた、映画だけん。声は人間だろぅたい(熊本弁)」奥さん「あッそうか、あははは…」

超えたな

2019.10

再評価

数年前、押入を整理していると学生時代のスケッチブックと共に鉛筆が出てきて、懐かしくて使ってみるとその使い心地にびっくりした。その鉛筆はトンボのMONOだったが、振り返ると製図は三菱、スケッチはトンボと使分けていた気がしている。使い心地が若干違うんだよね。MONOはいわゆるトンボ鉛筆の高級品の代名詞でスケッチ用に使っていた訳だが、これで文字を書いてみると鉛筆に対する印象が一変した。なめらかさが違う、尖らせるとシャープペンシルより繊細、芯が強い、書いた後汚れない。全て逆のイメージだったのに正反対の印象に変った。分っている人には当たり前だと言われそうだが、使い心地の良さに魅せられてその後だんだん鉛筆を使うようになり、今では筆記具といえばジェットストリームボールペン、消せるフリクションボールペン、モノ鉛筆の三つになって、シャープペンシルの出番がなくなってしまった。

鉛筆ってデザインもいいよね

出てきたのはMADE IN JAPANだったが、
新しく買ったら海外製造になっていて若干書き味が変わってしまった。

2019.09

ものは試しと…

長年使ってきたフィリップスの3ヘッドシェーバー(実は気に入らなかった父のお下がり)だが、ヘッドのプラスチック可動部が磨耗して外れるようになったので買い換えることにした。ネットで探していると中国製の同じタイプが3,000円でたくさん出ている。フィリップス普及帯の半値以下、しかも外周刃と内周刃のダブル仕様である。フィリップスの同仕様だと20,000円前後からだ。良く見ると中国製の刃は髭を引っ張る機能がないタダの普通刃だが、刃以外は何ら遜色ない出来栄え(に見える)だ。注意深くレビューを読んでものは試しと買ってみた、使ってみた。いやいや3,000円でこれはないだろう、良すぎる。若干剃るのに時間が掛かるが、剃り上がりはフィリップスと比べても気にならない。LEDモニター付きでバッテリー残量も分るし、使い終るとアラームが鳴り水洗い表示が出てきて楽しい。急速充電でバッテリーの持ちも良い。ポーチも付くし箱だって紙厚1ミリの化粧箱入りだ。中国いつの間に…。

あとは耐久性かな?

2021年末に充電端子の故障で終了

2019.08

昔から治水は命

8月27、28日は大変な雨だった。27日の夕方、山手の親戚の家からの帰り道は山の水が側溝からあふれて道路が川になっており、麓に下りると既にあちこち冠水が始まって車が渋滞しかかっていた。橋を渡ると堤防附近まで川が太って、ちょっと怖いなと思いつつ家に帰る。自宅の立地は高台なので大雨で被害を受けることは無いが、翌日のニュースで見た低地の惨状にビックリ、町中を流れる小さな川はすぐ溢れるのだろう。それでも大きな川の堤防が壊れなかったのがせめてもの救い。ところで数年前、市内を通る牛津川の堤防の上が舗装されていた。「こんなところをわざわざ舗装してもったいない」「犬の散歩コースにもってこいなのに真夏は犬にとっても迷惑だ」なんて思っていたら越水による破堤の防止なんだとか。2015年の鬼怒川決壊の教訓らしい。だがしばらくすると近道とばかりに車を走らせる輩が出てきた。離合も難しい道幅なのに本道のちょっとした信号待ちも許せんのだろうか…。「もぉー、走行する為の舗装じゃなくて、越水破提防止なんだお!」※ちゃんと言うと危険だからね

多分「うざい」と言われる

2019.07

いつかは、

仕事で使うCADはJWWが有名で普及している。図面が手書きからCADに移り始めた頃にフリーソフトということもありアッという間に普及したが、このソフトのせいでベンダーCAD製品のいくつかが消滅して行った。私もJWWを使っていたがグラフィック機能が欲しくなり別のに乗り換えた。当時は個人ベースで作られたCADがいくつかあり数千円でユーザー登録して使うことが出来た。後にJWWもグラフィック機能が強化されたが戻る理由も無かったので使い続けていたら、いつの間にか作者のホームページが無くなっていた。使いやすいとユーザーの評判も良く皆から感謝されていたのに何が理由だったのだろうか?とりあえずWindows10で使えているので当面の心配はなさそうだが…。

その後:情報が出てこなくて困惑していたが、作者が昨年、既に亡くなられていたと知った。ムック本を買って20年弱共に歩んできた者としては、兎にも角にもありがとうございました。ご冥福を祈ります。

2019.06

玉名の人(石人)

「すっすっはっはっ!」 あぁ、この人だったのか…。この呼吸法を知ったのは中学生の時だ。ラジオである長距離走者が話をしていて、この呼吸法「すっすっはっはっ!」が出た。金栗四三さんの話を交えてであったと思うが、この人は走っている最中にこれを頭の中で唱えるのが味気なくて、苦しくなると「すっはっ!」になってしまうので、自分なりに言葉を変えて唱えていたと言う。それが「うさぎ飛ぶ、うさぎ跳ねる」だった。そうすると苦しくなっても続けることが出来たと言っていた。「うさぎ(すっすっ)飛ぶ(はっはっ)、うさぎ(すっすっ)跳ねる(はっはっ)」 である。マラソンは得意ではなかったが、総体とかに選ばれる友人に付き合って隣町まで往復を走った時、試しにやってみた。中盤から苦しくなってどんどん離されて、もうトコトコ行くしかないと思ったが、無理してこの呼吸法を続けていると体が馴染んでいったのかランナーズハイになったのか、体が進むようになった。そうしていると遥か先を行っていた友人がだんだん近づいてきて、ゴールする前には追いついていた。あまりに離れたので友人は後半力を抜いたのだろうと思ったら、「中島は後半に強かね」と意外にとられたので、そうではなかったようだ。マラソンが苦手だと言うと「とにかく練習、とにかく走れ」としか言われた記憶が無いが、たまたまラジオで聞いた呼吸法のコツだけで走れるようになるとは…。今年の大河ドラマ「いだてん」は低視聴率といわれているが、結構面白いと思って見ている。オリンピックで欧米に敗れた彼らは100年後の事を語っており、それが今に続いている。来年のオリンピックはどの競技も粒ぞろいのようだ。「オリンピックチケット落ちた!」でも「日本がんばれ!」。

来年は聖火ば持ちたかぁ。
そぎゃんたい!

2019.05

5月1日改元

5月2日、コンビニ休憩の為に駐車場に入っていくと前方に女子生徒が二人。ひとりがこっちにスマホを向けている。「ありゃッ、なんかしたかな?」駐車してこのまま降りると録画される、ヤバいよヤバいよ。すると後ろから女の子が走ってやってきた。「ほら見ろ、オイじゃなかやっか!」かくして堂々と車を降りるとその女子共が、「れいわー(ルン!)」キャキャッ「れいわー(ルンルン!)」と言う。「令和」と筆文字でインプットされた私と違い、屈託の無いアウトプットは若者らしさか。と言ってはみたものの若い頃、福岡に進学した友人(男子)が別れ際に「バイビー」と言った時はムカついた。

今日から「れいわー」

2019.04

通りすがりの

約束の時間に少し早過ぎたので路肩に停車したら掲示板に令和の文字。近くのお寺のものらしい。新元号発表後、書初めや商品に令和の文字が躍るが、こういうふうに道端にぽつんとあるとなんか落ち着く昭和生まれ。そもそも元号(改元)は政治的な意味合いがあったとあり、災害に見舞われたときなどにも改元したとある。現代人の我々は為政者ではないのでそれに乗じて立ち止まり、振り返り、前を向く。元号が変るということだけを切り取るとそういうことではないかと思う。簡単に言うと気分転換だ(天皇の崩御は別だが、同時に新天皇の誕生だからややこしい)。ときに人の発想は自由で元号不要論(事務的だったり、制度的だったり)もある。しかし日本の文化と捉えれば、文化には地域性があるものだから違うことが必然になってくる。文化が違うことは不便だが同時にアイデンティティでもある。たまたま立ち会った悠久の時の流れの中の令和、人もまた同じ?

令和

2019.03

さらば平成

昨年10月「3DCGをもうひと頑張りしたいところだ」と書いたが、こればかりはムダ話のひとつで終る訳にいかないので頑張ってみた。頑張ってみるとやっぱりいろいろ大変なこともあり、凹んだり落ち込んだり良い事なしの連続で先が見えなくなるが、あるときピョンっとワンステップ上がるんだよね。このパターンは修得済みなのでめげずにやって来たらどうにか形になってひと安心、改元に間に合わせる事が出来た。苦しかった平成さんさようなら、戻ってこないでね。画像はいろいろなチェックの為の習作なのだが、業務とする上で大勢に影響する問題はほぼ解消できたと思う。改善の余地はあるがとりあえず他人に見せれるレベルにはなった。4月には新元号も発表され5月には元号が変るこの時期にタイミングが合ったのも何かの縁、新しい春の風に乗ってスタートしよう。


新元号なにかな~

2019.02

武者返し

武者返しといえば熊本城。子供の頃修学旅行で行った時、見学前の先生も見所として説明していたと記憶している。上に行くにつれて石垣が反っていて武者が登れない(落ちる)、難攻不落の熊本城だ。しかし実際見てみるとせいぜい垂直で登れないほどではないと思った。百聞は一見に如かず。その後乖離しすぎないギリギリのところで成立している熊本城観光イメージだと納得していた。時は経ち、たまたま熊本県庁の前を歩いていると熊本城のミニチュアが目に留まる。そこにはホンモノの武者返しがあった。

熊本恐るべし

2019.01

さが維新博

会場の1868年-2018年の看板を横目に、2019年になって見に行った。県民としては開幕すぐに見に行って盛り上げるべきだったろうが、スマンことをした。しかし「かちがらす」を読んだ後に行ったので、限られた時間の説明でも背景が浮き上がって見えてきた。場所や空間の展示方法も工夫され、演出もあって、三会場を回っても飽きることなく思っていた以上に楽しめた。惜しむらくは売れ残りだったかも知れないが記念グッズがちょっとね。帰りには佐賀城の直正公の銅像も見てきたがこれも良かったなぁ。見たときの天気や光の具合もあったと思うが、これほど空間が引き立つとは思っていなかった。明治維新150年ということで街は急ぎ駆け戻った雰囲気だが、佐賀がどのように関わったかは「かちがらす」を読んで良くわかった。この機会を得てこれから社会に出て行く若者達は幸せ者だなと思った。

佐賀人必読書、めざせ!大河を
(ん、NHK?)

日々のムダな行動、ムダな思考、ムダな感動のなかから、選びぬかれたムダ話を月いちで。